所在地:滋賀県湖南市吉永251
城名 :三雲城(吉永城)滋賀県指定史跡
築城 :長享元年(1487年)形態 山城
初城主:佐々木六角高頼(三雲典膳)
遺構 :土塁・堀切・空堀・桝形・土橋・石垣・井戸
城域 :300×200 標高334m 比高180m
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● 滋賀県指定史跡の山城
2015年12月18日滋賀県文化財保護条例第34条第1項の規定に基づき三雲城址が滋賀県指定史跡に指定される。
三雲城址(三雲氏)の歴史
三雲城は、長享元年(1487年)に佐々木六角高頼の命を受けて築城された。代々の城主三雲氏は、もと関東御家人で武蔵七党の児玉氏を名乗っていたが、明応年中(1492)にこの地に定住し、三雲を名乗り士豪として活躍するようになった戦国武将である。三雲氏が歴史の表舞台に登場するのは、三雲成持(みくもしげもち1540~1603)が城主のころである。成持の父定持(さだもち)は、元亀元年(1570)の野洲川の戦いで討死し、兄の賢持(かたもち)は永禄9年(1566)に浅井長政との戦いで討死するなど、近江守護六角氏の被官として活躍した一門として知られている。城は幾度か六角氏の亡命用に用いられ、天文6年(1537)には六角義賢が、永禄11年(1568)には義賢・義治が逃げてきている。
三雲氏は、織田信長が近江を平定した元亀元年(1570)の野洲川の戦いで敗れたのち、信長に従わず浪人になった。成持ちは六角氏没落後、蒲生氏郷の仕えていたが、江戸時代に入ると壱千石の旗本として徳川幕府に仕えることになり、幕末まで家名を存続することができた一族であった。
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